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着物に触れる機会が多い環境で育ったので、幼い頃から着物は身近なものであり素敵な大人のオシャレの象徴でもありました。
仙台にいた頃の着物は母や伯母や祖母のお下がりも多くて、小紋、色無地、訪問着や中振り袖をよく着ていたよ。
この頃は着付けは正統派、そして着物の格に従い何処にどれを着て行くとか、そういうものに縛られた着方しかしていなかったです。
着こなしは父方の祖母や大伯母に相談して学びました。特に大伯母は日舞の師範をやっていた粋な人で、私に対しては幼い頃からとにかく何事にも厳しかったなぁ(その厳しさ=私への溺愛故と知ったのはだいぶ後のことです)。反対に祖母はずっと優しかった。、、、人の愛情の表し方って本当に様々だね。
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東京に来てからは着物の趣味がガラリと変わって、紬、小紋、銘仙……粋な普段着&お洒落着やレトロ&アンティークな着物を好むようになりました。
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既にお話した通り以前の着物は身内のお下がりと誂えが基本で勿論どれもとても大切にしていましたが、東日本大震災の津波にその殆どを持って行かれ色々と思うところがありました。。。
よいモノを百万円以上かけて誂えても格に縛られ袖を通す機会は少なく、1~2回着たらまだよく袖を通していないものもありました。
(ちなみに地震保険に入っていたので着物の分として僅かながら保険金がおりました)
(ちなみに地震保険に入っていたので着物の分として僅かながら保険金がおりました)
弾かないギターを所持するのと同様に着てあげなかった着物たちのことを思うと、飼い殺しのようで可愛そうなことをした、と思う気持ちが拭えなくて。
…それで、震災以降は着物の趣味がガラリと変わって、紬や粋な小紋、和洋折衷アレンジ着付けといったお洒落メインに。次第に格式に縛られていた価値観も程よく壊れて現在に至ります。
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今はアンティークショップや古着屋さんを巡って自分の眼識を頼りにお宝を見付けるという楽しみも知ってしまい、、、骨董品や刀剣古武具•にハマるおじいちゃんの気持ちが分かる気がする!
(京都、名古屋、東京の3都市ならでは。ちなみに仙台には着物のアンティークショップや古着屋さんはあまりない)
柄はよいが裄や丈が短いアンティーク着物ををどう活かし着こなすか、素敵なアンティーク黒留色留黒紋付きをお洒落着として着るには、とか。考えると楽しいです。新しい方式の帯の結び方にチャレンジしたり(しかし出来上がりの形は同じ)という地味な楽しみ方もあったりします。
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言葉がいっぱい溢れてくる。もっともーっと書けるけど、容量が限界なので今日はこのあたりで燕日記閉幕。
会話もメッセージのやり取りも不器用で下手くそ故に、こういう文章の場では言葉が溢れて止まらなくなる。口下手あるあるですね苦笑。
つばめ ことね