少し落ち着き、事務所にも顔を出せて
スタッフさん達の顔を見て安心出来たので
何故出勤していないのか報告させて頂きます
突然のご報告でびっくりさせて
しまうかもしれませんが
8月下旬〜暫く出勤していない訳があります
これから書く事はお仕事で
ストレスが溜まった訳で全くなくて
2年前に愛犬長女を無くし父を亡くし
その後の家族間の争いや
今年は愛犬長男との別れ
それとはまた別に
長年、法と言う大きな壁に
自ら1人に挑み続けた結果です
「頑張ってね」と
数年言われ続け必死にもがき
自分のキャパを超えるぐらい
必死に頑張っているのに
これ以上何を頑張ればいいのか
お仕事を休んでまで頑張っていたのに
もう何の為に誰の為に生きているのか
分からなくなりました
心のコップがずっと満杯で溢れて溢れて
溢れ続けてもうこれ以上減る事は無いと
その結果
8月29日のお昼から夕方に
遺書綴り、身分証を添えて
8月30日のお昼に自ら命を経ちました
初めて自分の体を傷つけました
計画的な自殺でした
浴槽に貯めた暖かい湯船に服のまま入り
意識が無くなるまで1時間少し耐えました
太い静脈と頸動脈から
大量の血が体の外に流れていく姿
とても苦しくて痛くて喉も乾いていました
徐々に体が冷たくなる感覚
心臓が少しずつ動かなくなる感覚
意識が遠のく感覚今でも覚えています
その時に私は自分に
「今までよく頑張ったね。偉いよ」と
その後意識が絶えました
後から聞いた話ですが直ぐに異変に気づいた
第三者の通報により
警察、救急、消防の方が来て
直ぐに搬送され止血縫合と輸血を行い
翌日の8月31日の夜中に
意識を取り戻しました
目が覚めたのは一般病棟では無く
隔離病棟でした
入院計画表には怪我や傷で
入院している訳では無くて
精神的、社会復帰に向けて入院している事
そして9月に入り術前検査を行い
台風の影響もあったので手術に必要な物を
主治医が段取りを組み
全身麻酔で
自ら切った場所を主治医が2箇所を剥離し
左橈骨神経浅枝損傷による
人工的神経で神経を繋げる
神経修復術の手術
静脈、頸動脈を焼いて止血する作業
を行って頂きました
オペ室に看護師さんと一緒に入り手術台に乗り
脳波を測る物を付けたり心電図を付けたり
元々点滴は付けていたけど
麻酔が入る点滴は凄く怖かったです
麻酔科の先生の「これから麻酔を投与します」
と言う言葉と共に
2名の看護師さんに片方ずつ手を
握ってもらっていました
先生ごめんなさいと涙を落としながら
麻酔で落ちました
主治医のお陰で4時間に渡る手術は無事に
終わり全身麻酔から覚めました
喉に管を通していたので3日少し声が
出ませんでした
神経のお薬がかなりきついので
ボーッとするのと歩くとフラつくのと
嘔吐があったので
退院まで数日車椅子でした
その後はギブスとリハビリ生活の始まりです
リハビリ科の先生とグーとパーをする練習
親指を広げる練習
指で1.2.3.5がどこまで出来るのか
右手は出来るのになんで出来きないのって
泣いてしまいました
リハビリ科の先生は手術したてだから直ぐには
出来ないけど、動かすってゆう
脳に電波を送るって事が必要だから
頑張ろうねって手を握ってくれて優しかったです
この時には一般病棟に移動し
これから手術を控えている方や
手術終わりで入院している方と
同じお部屋で過ごしていました
退院後は毎年遊びに行く親友家族と話し合い
田舎で療養期間とし
2週間の予定で向かいました
家族、親戚、友人一同で
お出迎えしてくれて初日は凄く嬉しかったです
いつもは仕事中にテレビ電話をかけてくる
3歳少しの子達なのですが
ギブスにクレヨンでお絵描きしてたり
ご飯出来るまでブロックでお城を作ったり
折り紙でハートを沢山プレゼントしてくれたり
お出かけしてる時ててお昼寝どきになったら
「眠たいから抱っこ」「とんとして」
と甘えてくる姿がとても可愛らしいなあって
思いながら過ごしていました
大阪より暑くて車ですぐの所には
綺麗な海があるので
汗だくになったら足だけつかりに
行ったり家族の会社のイベント事があると
みんなで応援しに行ったり
一人夜になって空を見上げてみたら
星が凄く綺麗で沢山キラキラしていて
月が落ちていく景色も
空気も綺麗ですごくのどかな所でした
ですが本来の1番本来の目的である
心と体の療養が一つも出来てない事を
伝え、きちんと家族と話し合い
つい先日の1週間で、大阪に戻ってきました
都会生まれの都会育ちの私には
田舎の生活では出来ない場所だった
タイミングも悪かった
ただそれだけの事です
ギブスはまだ少し時間がかかりますが
もう数日後には抜糸です
その前にやらなくてはいけない事があるので
相談してして店長さんに協力してもらって
準備は進んでいます
やっぱり私はここに居て良かったと
改めて思いましたし
田舎では通用しなかったかもしれないけれど
大阪ではギブスをしている事で
電車に乗っていると危ないからと
優先座席を譲ってくれたり
荷物持つよって
美容室の担当さんもこのドライヤーなら
軽いからギブス外れるまで持って帰って
使っていいよって
洗いづらかったら頭ぐらい洗ってあげるよって
ほんの少しの優しさかもしれないけれど
私にとっては凄く有難い事で溢れています
やっぱり大阪に帰ってきてよかったなって
ギブスが完全に外れると
傷を受けいらなくはなりません
本音を言えば少し怖いです
だけど今となっては勲章だと思っています
2回の剥離、縫合と手術によって
傷は増えましたが
それを見てメンヘラだと思われても構いません
ですが傷の深さや傷の形を見れば
そうは思えないと思います
だってこの一人で抱えてきた過去は
誰にも分からないから
覚悟を決めた人間の証です
一つわがままを言わせてください
こんな私で良かったら
復帰までもう少し待っていてくれませんか?
唯一それが私のわがままです
もう自ら命を断つこともしないです
必ず約束します
入店して今月で4周年
いつもはみなさんに感謝を告げる
写メ日記でしたが
こんなお見苦しい報告になってしまって
本当にごめんなさい
令和6年9月17日 愛聖