おはようございます
奈良マラソンに参加される仲良し様
無理なさらずにファイトです
本日も
ご指名ご予約してくださった殿方様
ありがとうございます
お逢い出来る瞬間を
楽しみにお待ちしておりますので
お気をつけていらしてくださいませ
まだ10時から12時半までと
17時から 空きがございます
お時間が合いましたら
ぜひ逢いに来てくださいね
今日も皆さまのお越しを
元気にお待ちしております
奈良と大阪を結ぶ道は
古くからいくつもありますが
今回は
龍田古道(龍田道)のひとつ
亀の瀬を見ながらの行幸の道を
歩きました ⭐
行幸とは天皇が外出することで
行く先が2か所以上にわたるときには
巡幸というそうです
龍田古道は
飛鳥時代奈良時代において
大和の都と河内を結ぶ官道として置かれ
『 日本書紀 』の中で
推古21年(613年)11月に
「 難波より京に至る大道を置く 」とあり
斑鳩に居を構えた聖徳太子が設置した
わが国最初の官道 であったと
考えられているそうです
地すべり地である
亀の瀬を越える箇所については
大和川沿いの道のほか
三室山・雁多尾畑(柏原市)を抜ける道など
幾つかのルートが考えられています
『 万葉集 』でも多くの歌人が
龍田道を通り国境の龍田山を越える際に
多くの歌を残していて
地理的にも心理的にも
重要な地だったようです
また軍事的にも要衝で
高安城の築城や
天武元年(672年)の壬申の乱にて
戦場となったことや
天武8年(679年)11月に
龍田山に関を設けたことなどからも
うかがえるそうです
あら
わが国最初の官道 ?
どこかで見たフレーズです
今年に歩いた竹内街道も
日本最古の官道 と
書かれてありました
興味深いですね
竹内街道の起源は
推古天皇21年に整備された
「 大道(たいどう) 」が
難波と飛鳥の京(みやこ)を結び
日本最古の官道となったこの道と
ほぼ重なる竹内街道は
飛鳥と大陸との行き来を担う「 外交の道 」
聖徳太子信仰を支える「 信仰の道 」
物資を運ぶ「 経済の道 」
現在もなお国道196号として
大阪と奈良を結んでいるそうです
竹内街道をそのまま東に進んで行くと
推古天皇の居住地だったとされる
豊浦宮(とゆらのみや)や
小墾田宮(おはりだのみや)へ
続いて行きます
共通点は
推古21年(613年)と
聖徳太子さんが
関係していることでしょうか
はたしてどちらが
本当の最古の官道なのか
色々調べていましたら
面白いことがわかりました
龍田古道を龍田大社、龍田神社と
たどっていくと
聖徳太子さんが造営した宮殿
「 斑鳩宮 」があったとされる斑鳩町に
いたるんですね
太子さんは605年には
そこに移り住んだといわれています
593年に聖徳太子さんは
日本初の女性天皇である
推古天皇の摂政になりました
摂政とは天皇が女性や子どもの場合に
天皇をサポートして政治を行う役職で
摂政になった聖徳太子さんは
四天王寺を建立され
その後も法隆寺などを建立されました
そして高麗から僧を招いて
講義を受けたりと
仏教の文化を積極的に
取り入れられました
推古天皇が住まう場所にいたる竹内街道
聖徳太子さんが住まう場所にいたる龍田古道
歴史の専門家ではないので
勝手に想像しているだけですが
どちらも重要な道だったのでしょうね
あと別の資料によると
この推古21年に置かれた大道とは
難波宮(なにわのみや)から
南へ直線的にのびる「 難波大道 」と
それに直交する竹内街道と
一般に考えられてきたそうですが
発掘調査によって
「 難波大道 」の設置は
7世紀中ごろ以降であることがわかり
竹内街道の設置も
7世紀中ごろ以降ではないかとも
考えられるようになっていて
竹内街道ではなく
渋河道・龍田道・太子道(筋違道)の
ルートこそ推古21年に設置された
大道ではないかという
考えもでてきているそうです
前置きが長くなりましたが
高井田駅から出発します
龍田古道 ② に続きます
それでは
今日も一日、皆さまにとって
良い日となりますように
ありす(*人