むぎ(渋谷フェチM性感C.C.Cats)の写メ日記

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わろうてくれるな人のフェチを
2024年5月26日(日) 12:57 by むぎ
悲しいかな、SMはバラエティシーンでは嘲笑の的になりやすい。日本では、にしおかすみこのなんちゃって女王様ネタが十数年以上前に大流行した。

海外ではNETFLIXオリジナルドラマBONDING(邦題:ボンディング〜男と女の事情〜)でも取り上げられた。

親友でビジネスパートナーだった女王様とコメディアンのゲイの男の子の話である。最終的にコメディアンの男の子がスタンドアップでSMプレイについてのネタを披露し、大勢の前でM男たちを笑い者にするようになったのをきっかけに、2人は仲違いする。

その女王様の視点で描かれる変態たちを笑いのネタにするスタンド・アップコメディはとても悲しかった。身近な存在だと思っていた親友が突然非常識な差別主義者になったような、全く違う世界にズレていってしまうシーンは見ていてとても悲しい。しかし「変態プレイなんておかしいでしょ?」という感覚も同時に身に付けている私達にとって、そのスタンド・アップコメディがウケる理由もわかる。そこも含めてなんともやり切れない気持ちになった。


私は職業柄、Mな性質を持った男性と接することも多ければ、私自身も物心ついたときから周りとのズレを感じてたため、こういうシーンを見ると自分と周りが笑われているような気がしてしまう。


さらにSMは格好の性産業(餌食)だ。ワキガや、脇毛の生えた女性や、足の匂いが強烈など、一般には欠点だと思えるような特徴が、マニアたちによって瞬く間に安くないお金に変換される。

脚フェチの業界なんかはそれが如実に表れている。マニアな層にウケるように、延々とストッキングとパンプスの着脱を撮影しているアカウントはあっという間に伸びる。局部を顕にすることはもちろん、一切足以外の容姿は公開しない。そもそも女性の素性なんて気にしていない。なぜなら足の匂いがしそうな写真だったり、生暖かい質感が写真から伝わればいいのであって、彼らは脚単体で興奮する性質を持ったフェティストだからである。

余談だが、最近電車に乗っていてスレンダーな女性がミディアムぐらいの丈のオフィスカジュアルのスカートに、黒ストッキングとピンヒールを合わせていた。その透け感といい、質感、脚の形状的に「ああこの人は脚フェチでいけばすごい売れるだろうな」ということを反射的に考えてしまった。そのぐらいに私は日常生活にフェチズムを探している。


そういったSMが「売れる」ものであるのに勘づいただけの人達が作るコンテンツは、私達プロから見てすぐに見抜ける。何のオブラートに包まずに言うとすれば、サムいのだ。スベっている。

たとえば、脚フェチにとって大切なのが質感であるにも関わらず、カメラマンさんがその脚のラインの細い美しさだけが引き立つ撮影をしていた時。そのフェチの人が欲しい「本質」からズレたものに焦点を合わせたコンテンツになってしまう。それを「強烈脚フェチ向け」というマニア向けのタイトルにしてしまうから、その温度差に身震いしてしまう。

コンテンツだけならまだしも、こういう現象はSMプレイヤーたちにも時々見られる。前置きは長くなってしまったが、今日はこのことを書きたかった。


C.C.Catsは20年続くいわゆる老舗のM性感だ。講習も手厚く、技術のあるキャストのお姉様たちばかりだ。私が初めて入店した日、その雰囲気の持って行き方と技術に目を丸くした。今まで私が見てきた、やってきたプレイなんて恥ずかしくて見せられないとさえ思った。

それを知ってか、「勉強のために」と足を運んでくださる男性も多い。レベルは色々あれど普段はSをしているが、この日だけはM女性の気持ちを知るためとか、Mの可能性も探りたいと殆どは善良な向上心を元手に来店してくださる。

詳しくは伏せるがSMを仕事にしているプロのS男性が先日数名連続で来店した。いわゆる新人の登竜門として、当店を利用されているらしい。そこまでなら勿論、いつもどおり勉強で使って下さるのだと、何の問題もなかったのだがこの日は様子が違った。

当店のカウンセリングシートを書き込む姿(及び内容)を撮影して、勝手にあちらのお店の日記のネタにしたり、「俺のお店にもサービスを受けに来てよ」とキャストにサービスを勧めてきた。その時の日記を拝見したが、いわゆる「変態なプレイを受けに行っているオレ(本心で楽しんではない、勉強しにいっただけ)」といった感じの内容だった。

さらに接客時間外にキャストのお姉様に「ツイキャスコラボしてください」と打診までしてきた。意味がわからない。明らかに私たちの仕事を尊重していない発言だ。

当店に来店し、そういう言動をした彼らは「仕事のためにSMをしている」と言っていた。だから鞭や蝋燭、落書きを受けたかったそうだ。しかし、M性感の本質はそういう、なんちゃって変態プレイでは決してない。

縄や蝋燭、手枷なんかよりも必要なのは「支配されること」「弄ばれること」「女性の手によって開発される」という趣旨である。その核の部分を道具を使うだけで手に入れられるわけがない。それを実現するためには信頼関係と、身を預けてもいいと安心させられる空気作りが必要だ。

私は彼らの行動から、SMやそれに随伴するフェチズムを軽んじている印象を受けた。商売の道具としての側面しか見ていないから、形の美しさにしか目がいかない。前述した脚フェチを撮れないカメラマンと同じだ。

その姿勢は彼らの店を利用するM女性に対しても失礼ではないのかと疑念さえ覚える。


またこのようなプレイに対する不誠実な行為は、彼ら自身の首を絞めることになる。

変態プレイを見下している姿勢でいるということは、自身の変態性を真っ向から否定もしくは無視することになる。


私はよく「普通のセック.スも好きだよ」と口にするが、行為の最中数え切れないくらいに達する。ただ数えられないぐらいにもうずっとイッてると、普通の人には到底見られない反応をしている。全身震えて、汗をかくし、初々しい喘ぎ声ではなく、もう声さえ出せなくなり、たまに意識がトぶこともある。

だがこういう私の普通のセック.スは、いわゆるキ.メセクとしてAVでパッケージされているようなジャンルだろう。(むぎは決してキ.メてはない)。

大抵の男性なら「行為の最中は女の子にいっぱいイッてほしい」と望むだろう。だがそういう一般的な性癖でさえ、そういった異常性癖をはらんでいる。

普通のセック.スとは、多少なりとも異常を孕んでいるのである。だがそうあるべきなのだ。街で普通に歩いている人たちが、全て白いシャツとジーンズでは無く、十人十色の各々の個人の趣味を服に反映させているように、性行為も同じように人の数だけ違っていなければおかしい。


変態を嘲笑し、自身の変態性を否定するということは、明日から白シャツとジーンズしか着ないと自分に枷を付けているようなものである。知らず知らずのうちにバ.カにしている人自身の「普通のセック.ス」をも否定し、抑制しているのだ。

人間の三大欲求とはよく言ったもので、私にとっては食事を馬.鹿にする人たちを見ているのと同じ感覚だ。人は食べなきゃ生きていけないのに、食事を軽んじる行為と同じで、性を笑い者は性に泣く。

他者を尊重できる人は、巡り巡って自身を尊重することができる。逆に言えば、目の前の人間を尊重できない人は、自身の生きづらさになるのである。


どうか人とは異なった性癖であることが嘲笑の的にならない世の中に発展して欲しい。

性癖のあり方も、他者のセクシャリティや外見と同じように敬意を示し、デリケートに扱うべきだ。少しでも私と友人たちが幸せになれることを心から願う。


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