以下、治療家の中谷哲先生のお言葉です。
鍼灸を学んで実際に治療をしてみて最初に強く思ったことが、自分の体を守ることを同時に学ばないと、とんでもないことになりそうだということだった。そこで当時日本では珍しかった気功の中国人医師に会いに行ってみた。そこで効いたことに、人を治療するにはまず自分の器を満たして溢れ出たたものを使って治療をする。決して自分の中に貯めているものを使ってはいけない。ということだった。自分の中を満たすために日々鍛練をする。中にはその器が欠けていて自然にこぼれ出ていることがある。何の鍛練もしていないのに人を治療できる人がまれにいる。それがどれほど危険なことなのかよく解ると思う。
初学者ほど、自分の器の中のものもを使いたがるし、そのような治療に憧れる。人を思い通りに動かすという欲求は最も危険な麻薬と言っていい。一度味わうと脳的に抜け出せなくなる可能性もある。例えそれが自分の中だけの幻想だとしても。肉体的、脳的、どちらにしても危険なことに変わりない。
私も、セラピストとしてこの考えをとても大事にしています。若い頃は分からなかったけど、今ならよく分かります。
「私が治してあげたい!」は
ある種のオニーです。
そういう自我を捨てて、ただ目の前の事象に対してフォーム(施術)に集中する。とても大事なことだと思っています。
そして、これはプレイの時も同じです。
楽しんでもらいたい気持ち良くなってもらいたいという気持ちはもちろん持っているのですが、それは「私が楽しませてあげる!」「私が気持ち良くしてあげる!」とは似て非なるものなのです。
ここで頷いてくれた方は、ミキの本指名様、もしくはミキととても相性の良い方ですね
「私が治してあげたい!」は
ある種のオニーです。
そういう自我を捨てて、ただ目の前の事象に対してフォーム(施術)に集中する。とても大事なことだと思っています。
そして、これはプレイの時も同じです。
楽しんでもらいたい気持ち良くなってもらいたいという気持ちはもちろん持っているのですが、それは「私が楽しませてあげる!」「私が気持ち良くしてあげる!」とは似て非なるものなのです。
ここで頷いてくれた方は、ミキの本指名様、もしくはミキととても相性の良い方ですね