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ふと、「国破れて山河あり」という言葉が
頭に浮かんだのは、冷蔵庫を開けた瞬間でした。
「国破れて夕飯ない!」
冷蔵庫には、飲みかけの牛乳、しなびた人参、
そして賞味期限がとうに過ぎたマヨネーズだけ。
これが現代における「国破れて山河あり」
かもしれない。いや、山河どころか、
ハンバーグが欲しいんだよぅ
考えてみると、この杜甫の詩って、
すごく日常的な感覚にも当てはまるんじゃ
ないかと思うんです。
大きな出来事が起こった後、
人間が動揺しても、自然は変わらずそこにある。
たとえば、私がスーパーで特売を
見逃してショックを受けても、
空は青いし、風はさわやか。
つまり、私が「もうダメだ!」と思っても、
世界は何も変わらないんです。
ちょっと冷たいけど、それが現実。
さて、ここで改めて「国破れて山河あり」
の状況を考えてみましょう。
たとえば、ある日突然、夕飯の準備中に
レシピ通りの食材が全て揃っていると
思い込んでいたら、材料が全然足りないことに
気づく。
その瞬間、まさに「国破れて山河あり」な
わけです。キッチンは荒れ果て、
胃袋は悲しみに包まれる。
でも、見渡せば、鍋やフライパンはそこにある。
これを見て、「まだ戦える!」と思うわけですね。
この詩のもう一つのポイントは、
無力感と希望が同居していること。
国が破れてしまったという絶望感と、
それでも山河は変わらずにそこにあるという希望。
これを夕飯に置き換えると、
冷蔵庫が空っぽでも、まだフライパンがある。
つまり、冷凍庫の奥に眠る冷凍ハンバーグの
存在を信じて、戦い続けるしかないんです。
そうして、我が家の夕飯は冷凍ハンバーグで
無事に救われました。
国は破れかけたけど、なんとか立て直した
感じですね。
そして、食後に窓から外を見上げると、
そこには変わらぬ夜空が広がっていました。
今日の教訓:「山河あり」って、
意外と身近なところにあるんですね。
たとえ冷蔵庫が空っぽでも、諦めずに
探せば冷凍庫の片隅に希望があるかもしれない。
Nozomi.