氷室冴子「さようならアルルカン」の中の
「いもうと」の短編のように。
「シンデレラ迷宮」の主人公のように。
あるいは
鶴見済の「完全自殺マニュアル」や、
ヘルマンヘッセの「車輪の下」、
江國香織の「ウエハースの椅子」のように
人は希死念慮のしじまに立ち、
気づけば柔らかな砂に足を包まれて
くるぶしを濡らす程度だった波は
ひたひたと温かく膝下までやってくる。
心を弱くした人は
そこで立ち止まる誘惑にあがらえない
温かく柔らかな砂に埋まっていく感触、
寄せては返す波の心地よさ。
ただ感じることに。
死は常に、痛みからの脱却であり
苦しみからの解放、
全ての生に等しく与えられた
最後の救いなのだ
小さい頃はそう思っていた。
無邪気に、あるいは真っ直ぐに。
芥川龍之介のぼんやりとしたもの、
太宰治の求めた救い、
宮沢賢治の信じたもの、
石川啄木の見た一握の砂、
それらに耽りながら、
ただひたすらに救いを待ち侘びていた。
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