人はこの短い一生の中で与えられた生を全うする。
果たしてどれだけの人物が、歴史上に偉業を成し遂げた人物として名を残すことができるのか。
時代は刻々と変化し続け、いつの世であっても、歴史上の偉業を真似した程度では容易く歴史に名を刻めたりはしない。
時代の移り変わりが早過ぎると言われるこの時代に、己の名を世に残したいと思う者はどの様な偉業を行えばいいのだろうか?
多くの天才や気概のある強者は、常にその解を導き出そうとしている。
しかしその答えを知る人など誰もいない。
おそらくAIに尋ねても、正しく確実で具体的な答えなど導き出されないだろう。
なぜならばそこには、数多くの要因が関与しており、自らの持つ才能や実力だけでは必ずしも成し遂げられるものではないからである。
彼らの成功要因に、多く運の要素が著しく関与していると言う原因分析。
そこから読み取れる複雑に絡むランダム性の関与は、人為的に偉業を成し遂げる偉人を生み出すことなど不可能に近いという答えを意味している。
しかしそんな時代に、誰も成し遂げたことのない偉業を密かに成功させた人物がいるとしたら、どの様な方法で執り行ったのだろうか。
またその人物は何を考え、何を恐れ、何を志して、その偉業を世に送り出したのか。
日本は個の力を尊重し少数精鋭で世界に立ち向かう国家というスタンスでいる、特に近年に於いては。
大谷翔平の様な一部天才に全希望を託して、閉鎖的な島国に閉じ篭もる国とも称せる日本に希望がないと言えば語弊があるが、少数精鋭・閉鎖的というキーワードを日本にタグ付けするのはあながち間違ったカテゴライズではないだろう。
そんな日本を母国に持つ、或る一人の人物がビットコインの発明者である、というニュースがまことしやかに流れてきたのを拾い読む等ですでに見知っている人も多いのではないか。
しかし、その噂が噂止まりとなっている理由について「ビットコインが、ある種芸術の域で造られた一つの作品である」という仮説に基づいて考えると、より理解が進むのではないだろうか。