それは、何の変哲もない昼下がり。
彼と待ち合わせたのは、オフィス街から少し離れた路地裏にひっそりと佇む小さなラーメン屋。
外観は古びた木製の引き戸が特徴で、一見、特別な要素など何もない。
だけど、彼が選んだ場所はいつだって意味深だ。
「こんなところにラーメン屋さんがあるなんて…」
驚きと戸惑いを隠しきれずにそう呟くと、彼は少しだけいたずらっぽく微笑む。
「君と食べるのに、ちょっとした場所がいいと思ってさ」
店内はこぢんまりとしていて、カウンター席が数席並ぶだけ。普段のランチタイムには混雑しているのだろうけど、この時間帯は昼休みを少しずらしたこともあって、人影はまばらだ。
彼と肩を並べて座ると、すぐ隣にある彼の存在がいつも以上に大きく感じられる。
お互いの距離が近すぎることに戸惑いながらも、注文を済ませると、湯気を立てながら運ばれてくるのは、香り豊かな醤油ラーメンだった。
魚介のダシが効いたスープに、艶やかに光る自家製麺が美しく絡む。
「熱いから、ゆっくり食べて」
彼の言葉に頷き、レンゲでスープをすくって口元に運ぶ。
ほんのりとした塩気が広がり、口内に温かな旨味がしみわたる。
その味わいは、彼と一緒にいることの安心感と、どこか罪の意識が入り混じったような複雑な感情をさらに引き立てる。
ふと彼がレンゲを手に取り、私の目をじっと見つめたまま、熱々のスープをそっと私の口元へ差し出してきた。
「ほら、これも試してみて」
彼の指先がレンゲの端を持ちながら、わずかに私の唇に触れる。まるでわざとそうしたかのように、彼の眼差しは意味ありげに揺らめく。その仕草に思わず息を呑んでしまい、彼の目から視線を逸らせずにスープを口に含んだ。
味わいの深さは、さっきとはまた違う。彼の気持ちが注がれたようなそのスープは、ただのラーメンとは思えないくらい濃厚で、全身にじんわりと染み込んでいくようだ。喉を通った後もその余韻が残り、胸の奥がじわじわと熱を帯びる。
「ね、おいしいでしょ?」
その問いかけに頷くと、彼は満足そうに微笑み、今度は箸を手に取る。私がフォークやナイフを使って食べるイメージが強かったからか、彼はいつもと違う私の姿を楽しんでいるようだ。
「麺、ちょっとだけ分けてくれる?」
彼が箸で麺をつまみ、私の丼から少しだけ取っていく。
食べ物をシェアすることの親密さを、その動作一つで伝えられるのだと改めて感じる。
普通のランチのはずなのに、彼の仕草や声、視線に込められた意図がどれも特別で、心臓が波打つのを止められない。
無言でお互いのラーメンを味わい合い、時折交わす目線や笑みが、言葉以上の意味を伝えてくる。丼の中のスープが半分以下になった頃には、どこか名残惜しささえ覚えるくらい、その時間が愛おしいものになっていた。
「こうして一緒にラーメンを食べるだけなのに、なんだか満たされるな」
彼がポツリとそう言ったとき、思わずドキリとする。いつもとは違う、だけど確かに繋がっている感覚。あまりにも平凡すぎるランチなのに、彼と一緒だと、その一杯のラーメンが私たちの秘密になる。
会計を済ませ、暖簾をくぐって店を出ると、秋風が頬を撫でるように通り抜けた。彼と私の関係は、誰にも知られてはいけない。けれど、その一瞬を共有できたことが、ただのラーメンをもっと濃厚なものに変えてしまう。
「また、こんな風に…ラーメン、食べようね」
彼の呟きは、さりげない約束のようで、心の奥に柔らかく響く。その言葉を胸に、またいつか訪れる秘密のランチタイムを思い描きながら、私は彼の背中を見送った。
ラーメンの香りと共に残る余韻が、胸の中で温かな湯気を立てる。その湯気は、二人だけの秘密を包み込み、消えない香りを放ち続ける。
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書いてたらお腹空いてきました。
( ╹▽╹ )