その日 いつものように
勤務するS区の児童施設にて
オヤツの準備してました。
ドーーーーン!!
いきなりの激しい揺れ
「わぁぁぁぁーーーっ」
「きゃーーーーーーーー」
子ども達を机の下に潜らせ
倒れそうな食器棚、同僚と必死に支えながら
「……お父さん……」
14年前の あの日
震源地 東北
……福島
ずっと居ないと思っていた両親 …… の “父” が福島に居る事を
震災3ヶ月前に 知りました。
父「今まで出来なかった家族の交流… 出来たらいいな」
私「………ん。」
……家族。。。かぁ~
実感いまいち… でも
くすぐったいような 嬉しいような不思議な気持ち
「お…父さん…?」
照れくさいけど… エヘヘ
そんな気持ちを感じていた矢先の 震災。
上司が事務所からラジオを持ってきて
「震源地は 東北 福島… 」
育成室で それ聞いた途端
……腰が抜けました。
「また… 独りぼっちになるのか …」
そう思ったら涙が止まらなくなって
途端
上司に部屋の外に出され
激しく叱責されました。
「大人が泣いたら
子どもが不安になるでしょう!!?」
ーーーーすみません
分かってます、分かってます、
でも
( T艸T)「先生(←上司)
私、やっと家族が出来たんですよ
なのに… なのに…」
理由話しながら涙ボロボロ
わーーっと泣いてしまった自分に
「……サワさん 気持ちは分かる。 でもね
ここは保育の現場なの。
今は子ども達を護って下さい
泣くのは その後で…… ね。」
背中ポンポンしてくれたM先生
今でも ご健在でしょうか…
🌿
結局
「父」という存在の方とは 人間が(全く)合わず、その後 疎遠になり
風の便りで 亡くなった事を
2~3年前に知りました。
それより
目の前で
親が亡くなった子どもの話や
現場 保育士さんの話
当時の悲しい話は いくつもあって
それらを思い出す度に
自然の恐ろしさと
それによる悲しい出来事は もう勘弁 …という思いと
何より亡くなった方々の冥福を心から祈る
………今日 3・11。