~雛祭りの3人官女、5人囃子は、なぜ奇数?~
「桃の節句」とも呼ばれる雛祭りは、女の子の健やかな成長と将来の幸せを祈ってのお祝い。
現在のカレンダーでは「3月3日」は祝日ではないが、江戸時代には祝日とされた5節句のひとつ、「上巳」の節句である。
ちなみに5節句とは、正月7日の「人日」、3月3日の「上巳」、5月5日の「端午」、7月7日の「七夕」、そして、9月9日の「重陽」。
諸説ある雛祭りのルーツのなかでも、平安時代の「人形流し」が有力とされているようだ。
まず紙やわらで、人の姿に似せた文字どおりの「人形」をつくる。
そして、人形に触れたり、息を吹きかけたりすることで、心身の穢れを人形に移す。
さらに、その人形を川や海に流すことで、人が清められるとする。
いわば「儀式」で、当時の人々は、人形流しによって病気や災いから身を守ろうとしたのである。
その後、時代が下るにつれ、女の子たちが楽しむ、人形遊びやままごと遊びなどと「人形流し」とが混然一体となり、雛人形を飾る雛祭りへと変化したわけだ。
さて、雛人形の主役は、お内裏様とお雛様だが、雛壇という言葉があるとおり、雛人形には、3人官女や5人囃子、7人雅楽といった脇役もいる。
一般的に、雛壇でお内裏様とお雛様の次の段に並ぶのが3人官女。官女とは宮廷で君主や御皇后の側に仕えていた女性たちで、現代でいえばトップクラスの女性官僚といったところだろう。
3段目には五人囃子が勢ぞろいする。
左から、太鼓、大皮鼓、小鼓、笛と並び、扇を持つ謡い手が右端の順が一般的。
雛人形には、さらに琴と琵琶をプラスする7人雅楽と呼ばれる一団として勢ぞろいすることもある。
さて、ここまでの話で、登場する数字が「3、5、7」とすべて奇数だったことにお気づきだろうか。
もちろん偶然ではなく、中国から伝わった陰陽道の考え方によるものだ。
陰陽道では奇数を「陽」の数ととらえ、縁起のよいものと考えた。
一方の偶数は「陰」の数である。
つまり、3人官女、5人囃子、7人雅楽といった数字の並びは、順に並ぶ数字のうち、縁起がいいとされる「陽」の数字をピックアップしていたのである。
ちなみに「雛祭りが過ぎたのに、いつまでも雛人形を飾っておくと、結婚が遅くなる」などといわれるが、これは「片づけないと、その家の娘が嫁がない=かたづかない」という言葉遊びである。
ただし、もともとの「人形流し」からすれば、「厄や穢れを移した雛人形をいつまでも身近に置かず、早く片づけて遠ざけたほうがいい」という厄払い説もあるようだ。
さらに、 「大切な飾り物をきちんと片づけたり、しまったりできないようでは、いいお嫁さんになれませんよ」という、しつけに由来するともいう。