【軍艦島は当時、日本の最先端のハイテク都市だった】
長崎県にある世界文化遺産・軍艦島は、正式名称は端島(はしま)と言い、明治~昭和時代にかけて海底炭鉱で栄え、まるで戦艦のような形をしていることからその名が付きました
多くの人が住んでおり、人口が最盛期を迎えた1960年(昭和35年)には人口5,267人、人口密度は83600人/km²で、当時の東京特別区の約9倍にもなり、今でも世界一の記録に。
働く人の給料は過酷な仕事の分、当時の平均月収に比べてかなり高かった。1957年(昭和32年)の全国の白黒テレビの普及率が7.8%だったのに対し、軍艦島はなんと90%以上と日本一の普及率を誇っていました。また、島内には、病院や学校・神社・映画館などもあり、島の施設だけで何不自由ない生活ができる完全な都市でした
(雑学ネタ帳より)
昨年10月から12月に日曜劇場で放送された『海に眠るダイヤモンド』で軍艦島を舞台にしたドラマをやってました
当時を知らない私は見ているだけで勉強になり、小さい島でたくさんの人が協力し合いながら暮らしていたんだなと思いました。
端島では当時は真水が貴重とドラマを見てびっくりでした
りか