「ある」と「ない」について考えていました。
愛犬が亡くなってもう3年近くになります。
でもまだうっかり愛犬を呼んでしまうし、夢の中で一緒に遊んだりしています。
あの子を呼ぶ自分の声で目が覚めて、現実に落胆することも何度もあります。
もう触れないし肉球も嗅げない、私を見つめる目を見ることも私を呼ぶ声を聞くこともない。
記憶の中のあの子を撫でて嗅いで抱きしめるけど、寂しさが増して辛くなります。
それで「ある」と「ない」について考えることになりました。
「ない」はどこから「ない」なのか。
目に見えなければ「ない」?
原子や粒子レベルのサイズなら道具を使わないと見えない。
でも、そこに「ある」でしょう。
あの子は煙になって空へあがったけれど、煙は見えなくなってもどこかで何かに変化して、完全になくなってないんだから、それが今のあの子なんじゃないかと思いました。
「ある」は「ない」を内包していて、本当の意味での「ない」は存在し得ないのでは。
だから、私はあの子を失っていないし、目を瞑って抱きしめれば抱きしめたことになって、匂いを嗅いであの子を思い出せばあの子を嗅いだことになる。
そんなことを考えながら、少し空しくなっています。
みなさん、いかがお過ごしですか?