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【兵庫県明石の旅②】
2025年2月8日(土) 18:34 by 小島

冬は、演歌ばっかり聴いてます…

心に沁みますなあ~~

皆様…

いかがお過ごしでしょうか…?



本日、お忙しい中…

貴重なお時間を割いて下さいました、殿方様…

本当にありがとうございました!

寒波を吹き飛ばすような、熱い濃厚なお時間…

最初から最後まで、ずっとドキドキしてしまいました…!

超絶スペシャルなシングルマッチを、ありがとうございます…!

ぜひ『名勝負数え唄』に入れましょう…

まだまた、厳しい寒さが続きますが…

どうかお身体をお大事に…

また、お目にかかれる日をずっと待ちわびております…!



前回の続き…

「兵庫県 明石の旅」2日目…

この日は…

日本100名城に選定されている『明石城』を攻略!!

そして、明石駅周辺の史跡巡りも…!

いざ、出陣であります…!!



【2日目】

ホテル出発


↓(徒歩5分)


西明石駅


↓(JR山陽本線)


明石駅


↓(徒歩5分)


①明石城

■徳川の「鬼孫」が威信をかけた築城プロジェクト

西国諸藩に対する備えの要所である「明石城」の築城。 
元和4年(1618)徳川二代将軍秀忠が命じた、中央政権による国家プロジェクトでした。 
建設費用は銀1000貫目、今でいう31億円規模の一大事業です。

初代藩主は『小笠原忠政(1596~1667年、後に忠真と改名)』。 
織田信長と徳川家康を曽祖父に持つ、戦国のサラブレッドです。 
家康は、大坂夏の陣での忠政の奮迅ぶりを…
「わが鬼孫なり」と絶賛しています。


築城には、姫路城主『本多忠政(小笠原忠政の義父)』が指導役となり…
立地や設計に深く関わりました。 
小笠原・本多の両忠政2人が、建物の配置を決めたと記載された絵図も残っています。
あの名城『姫路城』との関わりもあったのですね!
ダブル忠政、胸熱ですな~~


城主忠政は、元和5年(1619)正月に着工。
その年の8月には、本丸・二の丸・三の丸の石垣や塀も完成。 
高石垣や、本丸・二の丸・三の丸は門で区切るなど…
戦闘を強く意識した構造でありまして…
西国街道と明石海峡を監視する役目を、色濃く反映した城であったことが窺えます。
最重要な交通の要所だったという訳ですな。



■姫路城を越える城域面積

築城当時の「外堀」は国道2号線付近にありました。 
明石駅北口を出てすぐの現お堀は、当時の「内堀」です。

今もなお残る、内堀と外堀の間に「武家屋敷」が並び…
外堀から海側に「町屋地区」がありました。 
町屋を含めた城下町は、姫路城に匹敵する面積を誇り…
外堀までの城域は、姫路城よりも広大だったとされています。
惣構えという意味を含めると、姫路城より大きかったとは!
驚きでございます。


残念ながら…
築城12年後の、寛永8年(1631)正月…
三の丸台所からの出火により、本丸は全焼。 
かつての本丸は、金箔が張り巡らされ…
襖絵には、松や小鳥が描かれていました。
まさに、贅を尽くした豪華な黄金御殿だったのです。
現存していれば…ッ!!
ぜひ、この目で見てみたかったです…



■明石城の見どころ

明石城は、昭和32年(1957)に…
『巽櫓・坤櫓』が、国の重要文化財に指定され…
城跡(明石公園の一部)が、国の史跡に指定されました。

なお『巽櫓・坤櫓』は、江戸時代から残る…
日本に12基しか現存していない、貴重な三重櫓です。

広範囲に残る、堀や石垣も見どころでありまして…
日本城郭協会による「日本100名城」に選定されました。


『巽櫓』

本丸の南東端に築かれた3重櫓。
阪神淡路大震災後は、曳家工法を使って修復されました。


『坤櫓』

「伏見城」から移築されたと伝わる、城内で最大規模の3重櫓です。
天守が築かれなかった明石城では、天守代用として使われました。
内部には「伏見城」の部材と思われる、木目のそろった松材が多く使われています。



『巽櫓・坤櫓』の佇まいの美しさもさることながら…
明石城の高石垣の迫力といったら…
いやはや、圧倒されてしまいます!!
これは、容易に攻め落とせないであろうな…
フムフム

櫓台の出角部分は、ノミで稜線を尖らせる「江戸切」という手法が多く用いられ…
石垣全体の美しさを際立たせているんだそうです。
おお、職人技…!!

かれこれ、2時間くらい徘徊していたかもしれん…笑
思っていたより縄張りが広大で…
全部見て廻ると、けっこう時間がかかりました…

『巽櫓・坤櫓』を拝みたい目的で、当初訪れましたが…
石垣の迫力と、職人技の素晴らしさに感動してしまいました。
なぜ、もっと早く来なかったのだろうか…
いや~来て良かったです!!


↓(徒歩15分)


②織田家長屋門

■江戸時代初期に建てられた、明石藩歴代家老・重臣屋敷をしのぶことができる長屋門です。
長屋門に使用されている…
太鼓鋲・蝶番・飾り金具は、室町時代の様式を備えています。

門のすぐ前が内堀です!
さぞかし、重用された家老の方がお住まいだったんだろうな…
明石で武家の風格を感じられる、貴重な史跡でございます。


↓(徒歩20分)


③明石上ノ丸教会

■明治39年にアメリカからやってきた『宣教師クーパー』が、プロテスタントの上ノ丸教会をつくりました。
現在の会堂は、昭和55年に改修されたもので…
有名な『ヴォーリズ建築事務所』(旧八尾政と大丸心斎橋店など設計)による設計です。

正面に、日時計が掲げられているのはとても珍しく…
窓のステンドグラスは、フランス製で西日を受けるように設計されています。

写真を撮っている時に…
急に、日時計がボーンボーンと正午のお知らせをしましたので…
めちゃくちゃビビってしまいました笑
怒られたのかと思いまして…
すみません。


↓(徒歩5分)


④亀の水

■人丸山から湧き出る霊水。
播磨三名水の一つで、かつて「長寿の水」とも言われていました。

ここにある手水鉢は、常陸国の『飯塚喜兵衛宣政』が寄進したものです。
よく見ると、ちゃんとお名前が刻まれていました。

地元では、ペットボトルやポリタンクをたくさん自転車に乗せて…
亀の水を求めに来る人が、日々絶えません。
わたくしがいた時も、地元のマダムがペットボトルを。

実に、まろやかで柔らかい口あたりのご霊水でした…!
ほんのり寿命が伸びた気分。


↓(徒歩10分)


⑤両馬川旧跡

■寿永3年(1184)一の谷の戦で敗れた、平清盛の末弟『平忠度』が…
源氏の武将『岡部六弥太忠澄』と…
川をはさんで戦ったことから、両馬川と呼ばれるようになりました。
この戦いで、忠度は右腕を切り落とされ…
もはやこれまでと、念仏を唱え討たれた場所。
源平合戦の壮絶な戦いがあった、古戦場であります。

山陽電車『人丸前駅』のすぐ近く、高架下のところに…
ひっそりと石碑が佇んでいました。
平家の無念さがひしひしと伝わってきます。


↓(徒歩5分)


⑥腕塚神社、忠度塚

■忠度の右腕を埋めた腕塚神社

両馬川旧跡の近くには『平忠度』の右腕を埋めた腕塚神社や…
忠度の亡骸を埋葬した忠度塚が今も残っています。
深々と合掌。


↓(徒歩5分)


⑦中崎公会堂

■明治44年(1911)年に、建築された多目的ホールで…
こけら落としには『夏目漱石』が講演した歴史があります。
奈良・鎌倉時代の建築様式を取り入れ『木造トラス構造』を採用しており…
建築技術史的にも、貴重な建造物です。
明石市内最古の公共施設で、市の指定文化財に指定されています。

この日は、残念ながら休館日…
外観のみの見学となりました。
和風建築でありながら、控えめに明治モダンテイストがちりばめられている…
とてもお洒落な建物でございました。


↓(徒歩10分)


⑧魚の棚商店街

■地元では「うおんたな」の愛称で親しまれ…
約400年前に明石城築城とともに…
『宮本武蔵』の町割りによって作られたと伝わる商店街です。

明石鯛や明石だこなど…!
昼網であがった、新鮮な魚介類や練り製品…
明石ならではのお土産などが並ぶ…
活気ある商店が、軒を連ねています。

アーケードに大漁旗が掲げられ、明石の冬の風物詩となっています。

魚の棚商店街の活気たるや!
足を踏み入れた途端、アミューズメントパークのようです~
ワクワクしますね。

酒に合いそうなお惣菜がズラリと並んでいる…!!
キャー
ビールロング缶片手に、つまみながら歩きたいわ笑
あまりにも美味しそうだったので、ついついお土産を買ってしまった…
毎日通いたいくらい、めちゃくちゃ楽しい商店街です…!


↓(徒歩5分)


⑨玉子焼 本家 きむらや

■明石に来たなら、やはり『明石焼』は食べとかないとな…!!
という訳で、老舗の有名店『玉子焼 本家 きむらや』さんに来てみました。
本場では、明石焼ではなく『玉子焼』と呼びます。


明石焼(玉子焼)は…
小麦粉とじん粉(小麦デンプンのこと)、卵、タコを使い、銅板の上で焼きます。
そして焼き上がった明石焼(玉子焼)を、四角い板の上に乗せ…
関西のつけだしにつけて、ちょっとほぐして食べるのが基本スタイル。

江戸時代の末期から、明石の重要な産業の一つとして「明石玉」が作られていました。
「明石玉」とは、卵の白身を接着剤に硝石などを固めて作られた模造サンゴのことで…
かんざしなどの装飾品に使われていました。

明石焼(玉子焼)の起源は、諸説ありますが…
当時、大変人気を得ていた「明石玉」を作る過程で…
大量に残った卵の黄身と、小麦粉さらに明石でたくさん捕れるタコを入れて作られたものが…
明石焼(玉子焼)のはじまりと言われています。


だから『玉子焼』と呼ぶんだね…
しかも、たこ焼きは明石焼(玉子焼)からヒントを得て作られたらしい…
明石焼(玉子焼)の方が先なんですわ!!


こちらのお店では玉子焼は、20個から。
ひとりで20個…汗
食べきれるかな…
と、内心ドキドキしてしまいましたが…
めちゃくちゃ美味しくて、ペロリと平らげてしまいました笑
しかも、関西のお出汁がまた良いんですよ~~
くぅ~~

熱々の明石焼(玉子焼)と、あたたかいお出汁を頂き…
冷えた身体が、ほっこりあったまりました…!!


↓(徒歩15分)


⑩明石港旧灯台

■元和7年(1621)に…
初代藩主・小笠原忠政(後の忠真)が、明石港を造り…
寛永年間(1624~44)には、港の入口にあたる波門崎に石壁を築いて港を改修しました。

現在の明石港には、明暦3年頃(1657)に…
5代藩主・松平忠国によって造られたという『旧波門崎燈籠堂(明石港旧灯台)』が残されています。

この旧燈籠堂は、明石市指定文化財であり…
現存する日本の旧灯台のうち、設置年代は2番目に古いとされています。
台座となる袴腰型の石積みは、江戸時代の巧みな技術を今に伝えています。

明治以降も、灯台として昭和38年まで利用され…
現在も海峡に面した、ランドマークとなっています。


ここからの明石大橋と明石海峡の景色が、実に素晴らしい。
行き交うフェリーや漁船がまた、この風景に華を添えています。
そして、向こうの桟橋に釣り人が。
日向ぼっこして、お昼寝している猫ちゃんも。
なんとも言えない、漁港のほのぼのとした日常。
とても癒されます。

しばらく、時間を忘れて…
明石の風光明媚な景色に、うっとりしてしまいました。


↓(徒歩20分)


明石駅


↓(JR山陽本線)


西明石駅


↓(徒歩5分)


ホテルに戻り、魚の棚商店街で購入した戦利品を肴にビールで晩酌



風呂入って寝る



「兵庫県 明石の旅」2日目、終了…!

この日は…

『明石城』の攻略と…!

歴史探訪、史跡めぐりをしてみました…!

今回は外の居酒屋に行かず、ホテルの部屋でまったり晩酌…

だって、寒いんだもん…

コンビニじゃ味気ないけど…

地元の食材を使った土産もので、一杯やるのも悪くないなあと思いました笑



それにしても、明石城…

姫路城に負けず劣らず、立派なお城だったとは知らなかったです…!

これは、姫路城とセットで見なければいけない案件でしたね…

そして、列車の車窓から見える…

夕陽に照らされた明石城もなかなか乙なもんですよ…

カッコいい…

明石城、一見の価値ありです!!



次回は…

明石の神社仏閣を、ひたすら廻って廻って廻りまくる!!

福よこいこい開運コースで、ございます…



では…

2/12(水)にお会いしましょう!



‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐



次回の出勤日は…


2/12(水)15:00~19:00(21:00UP)

2/19(水)15:00~19:00(21:00UP)

3/5(水)15:00~19:00(21:00UP)


です…

もし、お日にち合う方いらっしゃいましたら…

何卒よろしくお願い致します…
(´;ω;`)

では…



小島

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